【コラム】「アーティストだから常識なんか知らなくていい」は正しいのか?しほりパートナー
「アーティストだから常識なんか知らなくていい」は正しいのか?
かつて、そうであった時代があったのは事実だと思いますが、近年のネット化社会においては全くそうではなくなったと言えるでしょう。
一般人からはTVの中の美しく作られた姿に夢見て憧れるしかなかった「芸能人」も、今や「会いに行ける」ことが売りなっていたり、SNSで気軽にやりとりができたり、お忍びのプライベートが目撃情報として一瞬で世界中に晒されてしまう・・・そんな日常は皆さんもご存知の通りです。
芸能人としての生命線
ゆえに、以前なら関係者内で「あいつ性格は悪いけど才能があるからしょうがないか。」と何となく「芸の肥やし」的に、暗黙に許されてきたような舞台裏での素顔も、今はあっという間に全国筒抜けになるので、年々「日頃の行いがいいか悪いか」が、芸能人としての生命線にもなりつつあるのです。
かくいう私自身は時に演者として、時に作家として、音楽業界の表と裏を様々目撃しながら「控室での態度って大事なんだなぁ。」と、良くも悪くも我が身の勉強とさせていただいています。
特別な才能を持つ人
しかし、売れてちやほやされて天狗になる、という方が、人として「普通」なことで、どんなに売れても謙虚で気配りのできる人が、「ほんの一握りの選ばれし特別な才能を持つ人」なのではないでしょうか。 ドカーンと売れてちやほやされるという「異常事態」にも「普通の感覚」を維持する、ということは、つまり「普通の感覚を知っているかどうか」がそもそも問われるわけですね。
型破りとは、型を知った上で破れるからこそ特別な価値が生じるのです。 「当たり前に普通のいい人」では決して特化することができないのが芸能界ではありますが、「型を知っている」ことと「型を破れる」という相反する条件を両立できる選ばれし才能を持つ人であればこそ、ネット化社会においても人々を魅了し、愛される存在となれるのではないでしょうか。
パートナー しほり(シンガーソングライター)