【コラム】『タレント(能力)か、キャラクター(人格)か、大事なのはどっち?』望月宣武弁護士


2017年11月6日
こんにちは。共同代表理事の望月(弁護士)です。
今回は「タレント(能力)か、キャラクター(人格)か、大事なのはどっち?」をテーマにお話をしたいと思います。

大事なのは能力なのか、人格なのか

芸能界では、こんな話を聞きます。

能力があっても、社会人としての常識がなかったらダメだ
芸事の前に、まず人としての最低限の礼節をわきまえなければならない

一方で、ときに、社会人としては抜けている(ダメなところがある)のだけど、ずば抜けた才能を持っている人に出会うことがあります。そして、その才能(能力、感性)と、人としてダメなところが、案外同じところから生まれているのではないかと感じることがあります。
そうすると、「まず人として」(人格)を求めると、その人の能力まで潰してしまうのではないかと思うことがあります。
創作家の中には、たとえどのような批判をされても意に介さない人もいます。歴史に残る傑作を創作した音楽家や小説家などに、「人として、それはどうなのか」と思うようなエピソードが残っていたりします。他方で、素晴らしいタレント(能力)と、賞賛に値するキャラクター(人格)を併せ持つ「大物」の話も聞きます。さらには、能力はそれほどでもないらしいのに、人から好かれる性格がゆえに売れている方の話も聞きます。

タレント(能力)と、キャラクター(人格)は、どちらが大事なのでしょうか。

アスリートの倫理違反には厳しい目が向けられる

私はセーリング(ヨット)というスポーツ競技の審判員の資格を持っていますが、アスリートの世界では、単に能力があるだけでは評価されず、スポーツマンシップが強く求められます。特に、倫理に違反する言動に対しては、重大なペナルティーが課されます。倫理違反は、競技中のみならず、たとえ競技場の外であってもペナルティーの対象となります。
プロスポーツにおいてはさらに、ファン(特に子供たち)の模範となるような人格も求められています。たくさんの子供たちの憧れの対象となる人は、模範的な人格者でなければならない、というわけです。広場や公園でプレーするだけの人と、チケットを販売して競技場でプレーしている人とでは、求められる人格が異なります。

「ふさわしい社会性」が求められる時代に

芸能人も同様に考えることができます。芸能や芸術においては、「創作」という「生み出す」部分は人として自由であっても、「発表」という世の中に「送り出す」部分は、プロダクションやメディア、スポンサーなどのたくさんの社会装置を使うため、ふさわしい社会性(人格、常識)が求められます。また、「創作」においても、他者と協同して創り上げる映画や演奏などでは、同様の社会性が求められるでしょう。

能力なのか、人格なのか、という二元論で始めた話ではありますが、「能力があれば人格は破綻していてもよい」とは言えず、今後ますます「まず人として」を求められるのでしょう。特に、批判にさらされるような言動は、ソーシャルメディアやネットメディアなどを介して、あっという間に拡散され、激しいバッシングを浴びることになります。

そのような時代が好ましいかどうかはともかく、そういう時代であることを受け入れて、芸能人は「まず人として」、ふさわしい社会性(人格、常識)を身につけていかなければならないでしょう。(蛇足ですが、その社会性は、仮にセカンドキャリアを歩むことになった際には、大いに役立つものと思います。)

お知らせ

12月13日(水)にERA主催の初シンポジウムを開催いたします! ぜひ皆様お誘い合わせの上、お越しください!
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